自己紹介
pachikuriiiこと、さやと申します。
1992年生まれの29歳。現在は神戸でパートナーとふたりで暮らしています。
出身は山口県で、高校を卒業するまで約14年間住んでいました。5人家族の長女で弟が2人います。
大学進学を機に関西へ出て、そこから転々とし神戸へ漂着🏠
2021年の7月に離職しキャリアブレイク期間をしばらく過ごしたのち、当時の気づきを基にした休職/離職者のための場づくりの傍ら、プログラミングスクール「フィヨルドブートキャンプ」でプログラミングを学習しています。
好きなこと
- 服づくり👚(縫製とパターンを勉強していた時期があります)
- 音楽(色々聞きます。最近はコード打ちながらずっと柴田聡子さんリピートしてます)
- 引っ越し🏠(すごい時には年に1,2回のペースで引っ越していました)
- 間取り図を眺める🗺(上記の理由)
- 読書(坂口恭平さんが大好き)
- 散歩(散歩の領域を超えて100kmウォークにたまにエントリーします)
- 海外旅行(準備から移動時間から全部が好き🛩)
上記に加えて、わたしのこれまでを時系列で紹介したいと思います。
高校時代
高校は英語科に所属し、部活は野球部のマネージャーをしていました⚾️
GWもお盆も練習試合をするような強いチームだったので、部活ばかりして英語はろくに勉強していませんでした。が、精神力/忍耐力…みたいなものはそこで培われたような気がしています。のちのち、手放した方がいい場面で変にそれらの能力が意思決定の邪魔をしてくる…なんてことはたまにあったものの、これらが自分を救ってくれたことは多々あったし、これからもあるんだろうな🤔と思っています。
とはいえ、もっと英語は勉強したほうがよかったし、友人と遊びたかった…🥲笑 一生分のプレーはもう見た…😭と割と胸を張って言えるくらい野球漬けの生活だったので、今は野球とは無縁の生活をしています。 でもスコアだけは今も何も見ずに書けると思います✍️
大学時代
大学は関西にある、とある大学の法学部法律学科へ進学。
色々と規則や監視が厳しかった生活から一転、一人暮らしの自由な生活を満喫する日々が始まり大学時代はずっと楽しかったです。法学部に所属してはいたけれど政治学からジャーナリズム、地域研究、哲学、宗教学まで幅広く勉強できたし、イギリスで1年間生活(マンチェスターから電車で1時間の町にて)することもできたし、バックパッカーとしていろんな国へ旅もできたし…と、とにかくいろんな面からの知見が深まった4年間でした。
アルバイトもスーパー、古着屋さん、カフェ、川床のお運び…など色々やりました。あとは、ただただ、本当にいい友人たちとの縁に恵まれていた、ということに尽きます。音楽や本や服など、自分たちが好きなことをお酒を飲みながら朝まで話すことをよくしました。
就職 貿易事務として働く
大学卒業後は貿易事務として商社に就職し、1回の転職を挟んで計6年とすこし、働きました。
貿易事務は縁の下の力持ち💪🏻的な職種だとわたしは思っていて、高校時代のマネージャーの経験と似ていたように思います。目立った見える成果はないけれど、いないと全体が滞る…というか。でも、こうして書きながら、どんな仕事もそれに当てはまる気もします。
業務内容としては鉄鋼製品の運送と輸出入の手配、代金の回収や受発注業務などを担当していました。割と日々は地味でしたがカネ、ヒト、モノの動きのダイナミックさを仕事をする中で感じていて、よく、世界と繋がっている…!すごい…!🙌🌍🇯🇵と興奮していました笑 今でもたまに当時の上司の方々とお話ししますが、最近のお仕事について伺っていると、相変わらずすごいスケールだなぁ…👏と思います。
突然の転機
そうして貿易事務としてそれなりに日々働く中、世界が突然コロナ禍に突入💧&パートナーとの共同生活が開始。
世間でもそれまでの日常が一変していましたが、わたし個人レベルでも生活が激変しました。それまでの当たり前がなくなると同時に、人生においての役割の変化も意識し始めたことで、「わたしは本当にこのままでいいのだろうか…?」という疑問が常に頭の中をぐるぐるするように…🌀
さらに仕事では、世界中のヒトとカネとモノの流れがストップしたことで出勤しても仕事がない(でもお金は頂けていたので、有り難かった…)日々が続き、人によっては贅沢に見えるかもしれない、そんな状態についての不安を相談できる人が誰かもわからず、日に日に自分が自分でなくなるような感覚に陥っていました。自分でもわかるほどに心が脆くなり、何もないのに涙が止まらなくなることがありました🥲
退職
自分でもこのままだと危ない、と思ったのでパートナーと相談に相談を重ね、一旦仕事を辞めることにしました。
今振り返ると休職という方法もあったかもしれませんが、心身の休養をとった上で、長期的な視点から働き方や生活を建て直したい気持ちが当時は強かったため、リスクをとる覚悟をした上で退職という選択をしました。
人間としての生活と、おかゆホテル
そして、ただ生きる生活を半年。
そうこうしている間に心身がある程度回復してきたので、退職までの葛藤や、ただ生きる生活をしていた半年に感じた原体験とキャリア理論の基となった研究のひとつである「トランジション研究」をベースに、休職/離職中に方を対象とした場「おかゆホテル」(https://www.instagram.com/okayuhotel)をパートナーと細々とはじめました🍚 www.instagram.com
(ホテルと名乗っていますが宿泊を伴う宿を運営しているのではなく、人生の途中で宿れるイベントなどの場づくりをしています…🌿でも、いつかお宿は開いてみたいです。60歳くらいの目標。)
始めてみたら、自分が葛藤していた思いや不安を現在進行形で同じく感じられている方が少なからず、日本の各地にいらっしゃることが実際のやりとりや、いただいた反応から分かりました。
働くって何だろう
パートナーの助言のもと、そうやって始めた小さなマイプロと、人間としてただ半年生きる生活を通じて、働くことってなんだろうなぁ…と改めて考えるようになったものの、答えが見つかっていません。
とはいえ、生きることと働くことはほぼイコールな気はしていて…今はただ、働くことへのアクセスがもっと容易になる状況が生まれたらいいな…と考えています。そういう状況を作るために、わたしはどうしたらいいか?と考えた結果…
気づいた時にはフィヨルドブートキャンプの門を叩いていました✊
そして現在に至ります。 フィヨルドブートキャンプでのことについては次回書こうと思います😊
長い文章に目を通していただき、ありがとうございます🎉
🧁おまけ🧁
id名のpachikuriiiの由来はわたしがずーっと気に入っている、ただの意味のない”ことば”です。笑
まだスマホが普及しておらずメールのやりとりが主流だった頃、メールアドレスをどうにかこうにかユーモラスで無意味な感じにしたかった(?)時に、悩みに悩んで捻り出した単語が…「ぱちくり」でした。音が可愛くて、短くて、特定の何かを連想させない「ぱちくり」…👀 閃いたときは、これは世紀の大発明だ!というくらいのテンションになり、すごい勢いでpachikuri@xxx.ne.jp
みたいなメールアドレスを設定しました。
当時気に入っていたその言葉を、10年越しにふと、思い出したことをきっかけにid名にしました。
末尾にi
が余分に2つもついているのは、Twitter上でアカウント名が既に取られていたから…という単純な理由です😂